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Rainbow Seeker JPN-34 News #2
2010 Dragon Yacht Race
Rainbow Seeker JPN-34

みなさんこんにちは。
また長らくご無沙汰してしまいました。
なんせ、今年は本当にヨットヨット・・・の一年。
海外のレースにも出場いたしましたが、今日はそんな僕の2010年のヨットレースライフを
国内レースのみ、一年分ダイジェストで書きます。

さて、昨年2009年から僕もヨットレース参戦などヨットに本格的に復帰し、
当然、ドラゴンクラスのヨットレース参戦するようになりました。

復帰年は、扱い難しいヨットと新米クルーを抱え、
僕たちは、並み居る強者レーサーに、ただただ、必死について走るのみ。
結果は常にビリ。
でも、ひたすらゴールを目指す。
とにかく、レースに参加する事が大事と、順位は悔しくても参戦し続けた一年でした。

今年2010年は、極寒3月の初戦・スプリングレガッタからスタート。
いよいよレース幕開けです。


●3月6日、7日<スプリングレガッタ> 


極寒の海へ落水体験

スプリングレガッタは2日間で、
ポイントはつかない気楽さはあるとはいえ、レースとなれば本気。
さあ、今年はがんばるぞと意気込み充分で初日を迎え、いざレース海面へ!

ところがなんと、スタート前にクルーが落水!
落水直後、僕はとっさに彼のライフジャケットをつかみとり、
ぐいと引き上げ、流される事は免れたものの、

「大丈夫か」
 と問うと、
「はい大丈夫です」
 と返事。

でも、全く大丈夫そうではない。
わかりやすくパニクッた表情でガタガタ震えている。
これではもう彼の体がもたないと判断し、すぐ帰港。
ということで、1日目は残念ながらリタイヤ。DNSとなりました。
(※DNS=Did Not Start「スタート出来なかった」という公式レコード表記)

帰港後、すぐクラブハウスのシャワーへ駆け込む彼。
案の定、なかなか出てこない。
「どう?」
「まだ寒いです」
今の時期は海は一年で最も冷たいのです。
この時期に落水体験をするのは、我々慣れた者でも勇気が要ります。
彼はこの日まさに身を以て、最高の体験をしたのです。


気を取り直し2日目。

この日はコンディションも良く、レースは合計3戦行われました。

第1レースは予想通りビリ。でも去年とは確実に違う実感がありました。
なぜならば、去年と同じ最下位でも、接近戦の態のままのフィニッシュでの最下位だったのです。
去年は僕たちの艇は、前の艇はからかなり引き離されてしまう屈辱的な最下位ばかりだったからです。
そして、第2レースはなんと、ドラゴンクラスのレースに参戦して初めてビリではなかったのです!
最下位じゃなかった、という事はすなわち之れ何を意味するか・・・・?
セイリングやレースの上級者ばかりのドラゴンクラスで、混戦の中に交われた・・・という事です。
それはイコール、勝利も手の届く範囲に有ると言い換えられるのです。
(僕の中では)
僕は胸の中で勝利を手にするイメージが出来上がり、密かにワクワクしていました。
第3レースも最下位ではありませんでした。さらに言えば、後ろの艇は第2レースとは違う艇。
このドラゴンクラスの混戦の中に、僕たちも混戦する実力に満てきたのだと確信したのです。
そして、「今年の目標=全日本制覇」が、完全に視野に入ったのです。



●4月18日<ポイントレースのスタート>

シーズンを通して何度か行われるヨットレース、ドラゴンクラスはこの4月からスタートし、
11月の最終戦まで全部で6回のポイントレースが開催され、
その合計ポイントで今期の優勝チームが決まります。

また、10月にはドラゴンクラス全日本が開催されます。

並み居るドラゴンセイラーを押しのけ、このポイントレースでのクラス優勝はもちろん、
たやすいものではありませんが、僕の意識の先には「全日本」の事しかありませんでした。
故に、これからのレースは全て、全日本に向けての練習、と考え、
一戦一戦、学び、有意義にレースをこなすことを考えました。
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そして迎えた6月のポイントレース第3戦目、素晴らしいことが起こりました。
何と、僕たちの艇が最後のレグ※までトップを走っていたのです!
この時の結果は2位でしたが、このレースは、僕にさらなる自信と確信を持たせることになった、素晴らしい経験でした。
(※レグ=レースで回航するブイとブイの間を指して「1レグ」と言う。レースによりこのレグ数がそれぞれ違います)


●10月23日、24日<ドラゴンクラス全日本>

全日本はポイントレースの結果には干渉しない、独立したレースです。
毎年開催地が変わるのですが、今年はホームグラウンドである我が西宮が開催地となっていました。

いよいよ、目標としてきた全日本。
僕の緊張が高まり、興奮で胸がワクワクと躍るような感覚で臨んだ初日、奇跡が起こりました。


1日目 第1レース 虹を見たRainbow Seeker号

僕はこのチームのリーダーでスキッパー(舵取り)で、クルーが他に2名、合計3名でレースに臨みます。
この日のコンディションは微風。
こんな日は特に、わずかな風でも効率よくキャッチして、誰よりも優位に風の声を聞かねばなりません。
ほんのわずか、例えば数ミリ単位での微調整、海面の表情の変化など、有効な条件を見逃すことは出来ない、難しい読みが要求されます。
強風下で艇をコントロールしこなすのとはまた違う意味で、緊張するセイリングとなります。
故に、セイルのトリム※やその他の細かい事はクルーに任せ、僕は舵と風に全神経を集中させていました。
ひたすら上マーク(1番目のマーク)を目指し、周りの艇や余計な情報には目もくれず、
クルーを信頼して自分はひたすら集中するのみとしたのです。(※トリム=調整)

そして、上マークを回航すると、クルーの「トップです!!!」と叫ぶ声が聞こえたのです。
僕もすぐさま周囲を確認し、確かにトップであることを確認したのです。
この瞬間、僕の体に熱い血がぐわっ!と流れました。
やった!
トップで回航する快感が大きすぎて、しばしアドレナリン放出した状態でした。
結果はフィニッシュ直前で他艇に抜かれてしまい残念ながら2位でしたが、
万年ビリ選手がトップに立った瞬間です。大満足のレースでした。
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1日目 第2レース

スタート後まもなくフライングの警笛が鳴り、僕たちの艇に対しての警告かどうか確認しきれないままフライングを受け入れ、もう一度スタートラインへ戻る事に。
最高のイメージで終わった第1レースの後、気合が入りすぎのスタートをした自覚があったので、やってしまったのかと思ったのですが、実は他艇に対しての警告でした。
やらなくてもいいリスタートをして最下位からの不利なスタート。
それでも全く諦めず懸命に追い上げ、しかも風が振れていたので他艇とは別のコースを走りました。
そして、第3レグあたりで他艇を一気に抜き、結果、2位でフィニッシュすることが出来ました。

そして、1日目の総合結果は1位タイ。
もう誰も、僕たちの事を「万年ビリ艇」とは言わない。
どうだ、これが僕らの実力や!!
誇らしい思いで満たされて、大満足の結果となりました。

その夜、西宮の某所で行われた懇親パーティでは僕たちの艇は何かと話題の中心にありました。
もちろん、僕たちの快進撃がその話題の中心なのですが、
話題のネタになる事が、実はもう一つあったのです。

この日、レースが始まる直前に、沖の向こうに虹がかかっているのを見たのです。
僕たちの船名、「Rainbow Seeker」という名前と同じ虹が、
まさに僕たちの為に目前に現れてくれたのだと思いました。
そしてその事を、皆の前で挨拶した時に話しをしたのです。

「虹を見たからRainbow Seekerさんやっぱり強いわー」と、冷やかされ、
嬉しいやらこそばゆいやら、非常に幸せな気分に包まれた夜となりました。


2日目  第1レース・第2レース・第3レース

今年のレースは順風か微風・・・
その事を象徴するように、前日とはうって変わってこの日は朝からとんでもない強風。
我々が最も不得手とする気象条件。
僅かなミスが致命傷となり、レースでは取り返しのつかない遅れとなってしまいます。
風を掌握でききる知識、技術、経験よりも、
艇やまた自分の動きをコントロール出来る技術や経験の方もより重要な要素となりますので、
強風下での練習やレース経験の浅いクルーが多い我がチームに於いては、非常に不利となるのです。
隣を見れば元・オリンピック選手や、有名大会で常に上位の経験を若い頃からされている強者セイラーがずらり。
やはり、総合的に走りが安定しています。
不利なのは判りつつ、それでも大健闘、この日の結果はいずれも9位以下。
決して良い結果ではありません。
しかし、色々な意味で、僕たちの実力や弱点が客観的に把握できた、とても良い経験をさせて頂きました。

全日本・総合結果は7位。
前日の「天国」気分から一気転落したような結果に、しょんぼりしているクルーたちに、
「これから冬場の強風練習するぞ!」と声をかけ励まし、
また、自分自身の気持ちも新たに、来年のレースへ強きで臨む意欲も湧いてきました。




●11月7日<ポイントレース最終戦・"山村杯">  第1レースのみ

この日はほとんど風がなく、穏やか。
しかし、全日本の項でも触れましたように、我々にとっては好条件。
結果、第1上マークをトップで回航し、次のレグの下のマークで抜かれ、
その後に抜き返すつもりが、風がなさすぎる為に急遽コース短縮とのオフィシャルからの指示。
ヨットレースでは自然相手ですので、こういうイレギュラーな事がままあるのです。
抜き返すチャンスをあえなく絶たれた結果、2位のまま終わってしまったのです。

しかし、今年最後のレースを2位で終われた事は、
我々のチームにとって最大の「希望」というトロフィーとなりました。

今年もJPN-34 "Rainbow Seeker"を応援して下さったみなさん、ありがとう。
心から御礼申し上げます。
また、来年も頑張りますので、どうぞよろしくご声援下さい。

Mr.JIB

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by mrjib | 2010-12-08 18:20 | Yachting
受験生ブルース
ヨットと出逢った春から、あっという間にその年の夏が過ぎました。
僕は、ほとんど毎日ヨットの練習に明け暮れ、自分の腕もだんだん上がってきたように思えました。
そうして、重い北西の季節風が吹く冬の頃になっても、
僕は相変わらずヨット、ヨットの毎日でした。

北西の季節風はぐわぁーっと、とにかくパワーのある風です。
海上は全体的に波が大きくなり、白波が立つ状態です。
夏の走りとは別格の、とにかく豪快な走りに変わります。
バウ(船頭)から波がドーンとデッキを洗う。波はあちこちにぶつかり、自分の体にも当たる。
時には直接波を頭からかぶることもある。
当時の貧相なカッパごとしでは、あっという間に体の中まで濡れる。
そうやってずぶ濡れになっても練習が楽しく、
アドレナリンが出る、というのか、変に興奮する感じで楽しいのです。

冷たい風で手がかじかむと、その手を海に浸けるのです。
12月いっぱいぐらいまでなら海水があたたく感じ、また、気持ち良いのです。
冬の海は厳しい自然と向き合う事を避けられないのですが、
都会の生活だけでは体験する事の出来ない、不思議な発見もありました。

そうや、僕は受験生やった!
しまった!!

・・・と思っても、もう遅い。
もう一回浪人やなあと思い、ちょっと暗くなりました。
 
親には大変申し訳ないと思いました。
巷では、なんやら僕にぴったしな曲が流れていました。
高石友也の受験生ブルースです。
 

 大事な青春無駄にして
 紙切れ一枚に身をたくす
 まるで河原の枯れススキ
 こんな受験生に誰がした

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歌詞の一部です。こんな歌を聞いてると、何が良いのかわからなくなってきました。

僕の生まれた1949年はいわゆる"ベビーラッシュ"の年。
そう、『団塊の世代』というやつです。
今思えばどうしようもなく暗い歌ですが、当時の風潮にはぴったりと合っていました。

本当に大切な事は何か?
役に立たない公式や年号を覚える事か?
少なくとも今の僕にとっては、天気図やロープワークを覚える事の方が重要じゃないのか?

そんな想いの中、僕のヨット生活は続きました。
ヨットに乗ると受験の事は完全に忘れてしまっていました。
しかし、周りの先輩はヨットの中で勉強させるのでした。
僕が受験生ということを思い出させてくれたのです。
親切?
しかしそれは焼け石に水。
もちろん、ヨットの中で勉強なんて、全く出来ませんでしたけど(笑)。
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by mrjib | 2007-04-20 21:49 | Yachting
過去、サイコウに恐ろしい思い出
■雷

ぼくがヨットと出逢ったその夏の、ある日の事。
いつものクルージングの帰り、神戸の沖合いを西宮に向かう帰路の途中でした。
曇り空、雨がパラパラと降る中、それは突然、ものすごい勢いの雨に変わりました。
バケツをひっくり返したような大粒の雨、それに雷!
重く黒い雨雲から、一筋の雷が海面に向かってまっすぐ突き刺さる。
これが、すぐ僕たちの船のほんのすぐそばに落ちてくるのです。
ある時は目の前に、ある時は背後に、
それも、数えきれないほど何度も、何度も。

そら恐ろしい!!
怖いのなんのって!!

鳴りやまぬ雷鳴の中、僕たちはただただ祈るようにその間を走るしかありませんでした。

体は恐怖で縮み上がり、降り続く雨でぷよぷよにふやけ、夏なのに寒さで震える。
自然の力の大きさと恐ろしさを、五感に深く擦り込まれた体験でした。

※ちなみに、その辺りは神戸沖。
「大きな船もいくつかあるから、多分僕たちの船のような低い船には落ちないだろう、順番から言うと大きな船からだろう」とか、
「船には避雷針というものが付いているので、大丈夫だろう」など、そのような理由を安心感のよりどころにしていたと思います。落雷のシステムについて色々な事が判ってきた現代に於いては、この考えの半分は気休めだったなと思うばかりですが。

とにかくこれが、後にも先にも、僕の海上での雷の経験の中で最高に恐ろしかった思い出です。
こんな雷には、それから先も遭った事はありませんでした。

無事帰ってみると、神戸では大変な被害がでているとのニュースが。
昭和42年、近隣の山からの土石流が三宮の商店街にまで流れてきた、神戸大水害の日の事でした。あちこちの川が増水、氾濫し、多大な被害をもたらしたと、今でも語り草になっている災害でした。

その夜はクタクタに疲れ果て、ぐっすり眠りました。
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by mrjib | 2007-02-23 19:06 | Yachting