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四国ソロツーリング
みなさんこんにちは。
さて、ずいぶん以前の話題ですが、今年の秋に出かけた四国のソロツーリングの事を
今年中に書いておきます。

■今年はバイクなかなか乗れなかった。

何故かって?
それはもちろん、今年はヨットのことで予定がビッシリだったからです。
なかなかバイクに乗れません。
心はヨットに在りつつも、バイクの事・・・「バイクで旅をすること」への達成願望は不完全燃焼。
やっぱり乗りたい!
どうしても旅に出たい!!
・・・・
そんな思いで、チャンスを狙っていました。

夏の間、もし一週間の時間が出来たならば北海道やな・・・と密かに練っていましたが、
今年の酷暑のすさまじさは皆さんも周知の通り、北海道とて例外ではありません。
とてもバイクにまたがる気がせず、断念。

そして迎えた秋、9月の第一週目の週末の3日間の時間を確保、
3日間で回りきれる場所、少し考えて迷わず「四国や!」と。
四国は、少年時代から何度もヨットで海側から訪れた懐かしい場所。
ヨットに夢中だった青春時代の一ページ。

※その一部は過去ブログ参照して下さい↓
http://mrjib.exblog.jp/5314775/

遠い昔、海から見た美しい風景をそして港を、
今度は丘から順番に訪ねて周ってみようとプランニング。
想像しただけでもワクワクする!
もう居てもたってもいられない。

善は急げ、明日から出発だ!

■1日目 <9月9日(木)> 西宮~室戸岬 走行約 300km 晴れ

この日、とても印象的なのは、本当にツーリングに相応しい秋晴れの快晴。
秋晴れといってもまだまだ残暑厳しく、大変な暑さでしたが、空はどこまでも高く澄み、
さも僕を手招きしているように見え、大いにワクワクしていました。
ゆっくり目に西宮を出発、明石大橋を渡り、淡路島を踏み鳴門海峡を越え、あっというまに徳島へ。
高速道路がこの島々をつないでいるおかげで、本当に四国が近い場所になりました。

さあいよいよ四国の旅の始まり。もちろん僕は海岸線沿いに走り始めました。
どこまでも穏やかな紀伊水道を左に見ながら、この海も何度も走ったなあ、とか、
いろんなことを思い出しながら、快適なクルージング走行で、
僕なりに景色と思い出を楽しんでいました。

日和佐港へ寄り、お昼過ぎに室戸岬へ到着。
室戸岬といえば台風の通り道で有名ですよね。
バイクを駐車場に止め、岬を散歩。
海から見る陸、陸から見る海、全然違うのです。不思議なものです。
同じ場所、二つの表情です。
こういう体験は、ヨットマンの特権の一つですね。
海から訪れたこの地は、感覚的には「帰ってきたなあ」と思うか
「いったいこれから何処いくの?」と言う感じでした。
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室戸岬の丘に立つ灯台、丘から眼下に広がる太平洋の風景、
タービダイト層という特徴的な岩の風景も美しく雄々しく、何とも僕の好きな大らかな風景です。

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また、若き日の自分に思いを馳せながら、今晩は高知に泊まろうと室戸を出発。

途中、こんなものに出会いました。
もちろん立ち寄らないわけにはいきませんよね。(笑)
立ち寄って軽く食事をしてきました。
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さて夜、高知「はりまや橋」到着。
いつものごとく、適当に探したホテルにチェックイン。
軽くシャワーを浴び、そしていつものお楽しみの晩飯探求へ!
ここは高知です。
もちろん、鰹の刺身が美味しく頂けそうなお店を探すこと、約1時間。

すると、とある料理店のおばちゃんにどうぞと呼び止められ、そのお料理の店が僕の目的地では無いと判断出来ていたので、
申し訳ないのですが、とっさに「この界隈に、ジャズバーありませんか?」と話題をそらしてしまいました。
するとそのおばちゃん、親切な事に周りの知り合いにいろいろ聞いてくれるじゃありませんか。
そうして僕は3件の店と細かい情報をおばちゃんから教えて頂いたのです。
最後におばちゃんは「おなかすいたら来てね」とヒトコト言ったのみで、
おばちゃんの親切さに僕はいたく感激してしまい、
僕はまずその3件をそれぞれ店先からチェックしたのち、おばちゃんの店に戻りました。
自分の店の営業をせず、僕の願いを優先してくれたおばちゃんと、
と同時に、この街を気に入ったと思いました。

そこは日本料理の店で、店に入ると、
おばちゃんは板前さんに「この人のことちゃんとお願いしますよ」と残し、店を出ていかれました。
店も板さんも非常に感じ良く、出してくれる料理もなかなかでした。
おばちゃんのことをを店で聞くと、彼女は店のオーナーでこの辺りの地主さん。
この辺りを大事にされてる方とのことでした。
どうりで合点がいきました。僕が印象を良くしたのも当然です。

さて、気分のいい食事の後はお約束のジャズバーへ。
2件目のバーは大変気に入りました。
マスターはジャズピアニストそしてヨットマン。話合いますよね。
この店で夜遅くまで遊んでいました。
ここでもまた、音楽関係の友達が増え、次回はメンバーと来るねと言いながら店を後にしたのです。

●Just Friends
高知市 088-824-8972
探してみましたがweb siteのURLが無いようです、ごめんなさい!!

■2日目 <9月10日(金)> 室戸岬 走行約 700km 晴れ

高知から一路、足摺岬へと。

高速道路が須崎まであるので、朝食は須崎にしようと降りたところにマクドナルドがあったので、よし朝マック!
しかしここのマクドナルドは何か僕の知ってるマクドナルドと雰囲気が違う。
なんやろ、この妙な雰囲気は。。。
そうだママと子供たちがいない!!
制服来た女子高生もいない。。。
代わりに、漁師らしきじいちゃんやおっちゃんが溜まってる。
そうかーこのへんは、漁師仲間が集まってワイワイの場所がマックなんやと。
マクドナルドのイメージと合致しないこのチグハグさ加減がおもしろく、とても印象的でした。

楽しい朝マックの後は、再び足摺岬へ向けて快走。

しばらく走ると「四万十川」の標識が見えてきました。
四万十川といえば、もう頭の中は「天然のうなぎ」でいっぱいに。
案の定、しばらく走ると目の前に天然うなぎの看板が見えてきました。
空腹ではありませんでしたが、食べるか否かは愚問というもの。
天然ウナギの鰻丼で、少し早めの昼ごはんにすることにしました。

ちなみに僕はウナギ好きで、けっこう色々なところで頂いた経験がありますが、
天然のウナギで一番美味しかったのは和歌山の十津川沿いの、何気ない喫茶店で食べたウナギが最高です。
カリッとした皮の香ばしさは、忘れられません。
こちらのウナギもとても味しかったですが、何よりこの雰囲気が良いでしょう!
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ひとしきりウナギを満喫した後、再び足摺岬へ向かいます。
しばらく走ると土佐清水市へそこから、ぐるっと足摺岬を回ろうと思い、岬に向かいました。
そしてようやく到着した足摺岬。
駐車場にバイクを止め、しばらく散策をすることに。

9月だというのに、今年はまだ秋の気配もなく、まさに真夏。
また、この地の景色は樹木が亜熱帯風で、南国なんです。
亜熱帯樹の林を少し歩くと「かき氷」ののれんを発見。
砂漠のオアシスとはまさにこのこと、僕はためらいもなくみぞれをひとつ注文。
真夏の陽差しの中、熱帯樹林の木陰でかき氷、これはもう最高!!
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岬に座り、そしてまた若き日の色んな思い出に浸っていました。
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最高の昼休みを終えたのち、足摺岬を後に海岸線をさらに走り、
宿毛(すくも)、宇和島を通り松山へ向かいます。
宇和島を過ぎると高速道路があり、予定よりかなり早く松山に到着してしまいました。

そこで、夕暮れの来島海峡を走ったらどんなに素敵かなと思いたち、
急遽、予定変更。
来島海峡は、鳴門海峡に次ぐ流れの速い海峡で、四国としまなみ海道をつなぐ海峡です。
夕焼けでオレンジ色に染まる海の上の道、最高です!

しまなみ海道を渡りきったところで、再び松山に戻る予定でしたが、そのまま尾道へ。
気持ちよく走ってるともう福山市内に入り、軽く食事を済ませ、山陽道の福山ICへ。

この時点で、西宮まで200キロ少しでした。
よし、このまま西宮まで走りきってしまおうと、気合いを入れ直し一気に走り抜きました。

夜10時前に無事到着。
本日の走行距離700キロ、それが意外と近く感じた四国の旅でした。

ヨットで回ると2週間
バイクで回ると2日の旅・・・

そんな思いで締めくくったショートトリップでした。
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by mrjib | 2010-12-29 18:23 | Yachting
四国クルージング-4
■太平洋!

別府港にようやくたどり着いた、それは、この旅の折り返し地点に到着したということです。今までは、穏やかな瀬戸内の中に抱かれて走ってきましたが、帰路は太平洋を経由し、四国の太平洋側を走るのです。「初めて」の事ばかりが続いたこの旅の、最大の初体験は、この太平洋との出逢いだったのです。

では具体的に太平洋、というと、例えば瀬戸内海と何が違うのでしょうか?

行く先に何も景色が無いという体験を、海の上でした事がおありですか?

日本近海はほとんど、特に瀬戸内海は当たり前ですが、常に両側に丘の景色が見えます。
右手には兵庫県から始まり岡山、広島、山口、左手には香川、愛媛と続くのです。
丘の景色が見える事は、我々阪神間に暮らす者にとっては特に、当たり前の景色すぎて改めて考える事などありませんよね。しかしこのことは、とても大きな安心感をもたらす環境だということが、このすぐ後、僕はその時の僕なりによく判る事になります。

その先ずっと後に、もっと大きな外洋に出た時のスケールとは違いますが、その時の僕にとっては、大きな感動と未知体験からくる最高の緊張でした。
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さて、別府港を出港しまもなく佐賀関を越えると、豊後水道(九州と四国の間の航路)に入ります。ここを抜ければ、いよいよ太平洋が目の前に広がるのです。

左手には四国の佐多岬、右手には九州の佐賀関を越え、さあ、太平洋だ!


それは、全く違う波の大きさや海のスケールでした。

何せ、今までは平和な瀬戸内だったのですから。それまで前後左右にあった筈の丘の景色が、次第に変わってきました。目の前に広がる景色が遠く、ただただ、海の先に集約されてきたのです。太平洋の入り口まできたのです。

間違って向こう側に行ってしまったら、怖いな・・
歴史上で言う大航海時代(15〜17世紀)大昔のマルコポーロやコロンブスなどの先人たちは、この先を行ったのです。
向こう側が何もわかってないのに?!
ものすごい勇気だ!
しかし何を求めて?
しかも、その無謀な旅に着いて行ったクルーも居るのだ。
これこそが、世界史だ!!

・・・・

僕は、ちょっとした興奮と恐怖の中で、アジアの隅の太平洋のはしっこで、先人たちとつながっていました。

・・・

波は豪快で大きく、未体験のセイリングです。慣れぬ内は「一体どないなるんやろ!」と、たじろぎましたが、それもつかの間。こんな大きな波でも乗り越えて行けるのだと、体と頭で理解出来る頃には、すっかり慣れていました。


■リアス式海岸

僕たちは最初の寄港地を、高知県の土佐清水港に決めていました。

土佐清水は四国の最南端、足摺岬を少し奥に戻った港です。僕たちは目的地へまっしぐら、日振島が横に見えてきました。日振島は小さな島で、この辺りはそのような小さな島が幾つもある海域です。

しばらく走った頃、快適なセーリングだったのですが、風が次第に強くなり、波も大きくなってきました。波の大きさは内海から太平洋へ出るのと併せて、どんどん大きくなってきました。そこで、このまま土佐清水まで行くのは難しいと判断し、僕たちは最寄の港に避難する事にしたのです。

チャート(海図)を見て、避難先を宇和島市の北灘湾へ一路。やっと風と波が避けれられる湾に入ったときは、もうすっかり日が暮れていました。

さあ、アンカー(錨)を降ろすぞ。
しかし、・・・ん・・・?

ロープが止まる海底になかなかアンカーが着かないのです。いつもならとっくに届いていても良いだろうの時間、手の中をするするとロープが海の中へ引き込まれてゆくのです。
岸はすぐそこに見えているというのに、何故?
・・・そんな疑問を抱えながら、アンカーが効く所までそろそろと奥へ進みました。もちろん、誰も知らないところだったので、慎重にそれ以上奥へ進まず、夜が明けるのを待ちました。


僕たちはNHKの気象情報を聞いたりゲームをしたりで一晩過ごし、翌朝、明るくなった海岸を奥へと進みました。みかんが海面いっぱい浮いていたのが印象的でした。

海岸線の入り組んだ地形・・・
なかなかアンカーが届かない深い底・・・
・・・そうか、ここはリアス式海岸や!
僕は中学校の地学の勉強を思い出し、なるほどと思いました。

九州と四国の継ぎ目の間、地球が長い年月をかけて大陸を引き裂いた跡をそのまま残すような、複雑な海岸線が続くのです。


さらに奥へ行くと、何とそこには小さな町がありました。
「岩松」ということがわかりました。
僕たちはそこでもう一晩泊まり、翌朝出港、土佐清水の寄航は止め一気に徳島県の日和佐港まで走る事に計画を変えたのです。思わぬ予定変更でしたが、偉大な自然の力の前に、私たちは常に謙虚であり慎重でなければなりません。

気象の事や地形の事、もっとちゃんと勉強をしておけば良かった・・・
予測が出来るようになっておけば、もう少しうまい段取りが出来たのに・・・
そんな思いをかみしめた寄港でした。

【教訓6】 海に出る者は、気象の勉強は絶対条件や


■電リク

岩松港を出航し足摺岬を回った頃、夜中の一時過ぎくらいの出来事。

僕たちは持ち込んだラジオをいじって、そこから拾いあげる電波を見つけて遊んでいました。すると、いつも僕が聞いてた電リク(電話リクエスト)が、聞こえてきたのです!

さて、『電リク』は今でももちろん幾つかの番組があるようですが、当時はAMラジオで毎晩2〜3時間放送されており、非常にポピュラーな娯楽でした。今のようにメールやファックスなどはなく、リクエストは電話のみ。また、『○○さんから○○さんにメッセージ、・・・・』と、単にリクエストでなく公共の伝言板のような役割もあり、リクエスト曲と併せてメッセージを読み上げられてもらえたのです。それらにはそれぞれに意味があり、それを聞くのも楽しかったのです。

自分へのメッセージが電波に乗って曲と共に流れてくる、ちょっとロマンを感じる番組でした。受験生は皆、たいがい電リク愛聴者で「ながら勉強」という言葉が出来たほどでした。


さて。
「お!電リクや!」と、キャッチした電波を皆で聞いていると、何と僕の名前が出てきたではありませんか!
僕の父親から、僕へのメッセージでした。

「お父さんからメッセージです。もし聴いていたら家に電話をしなさい。
 予備校も申し込んだぞ。」

というような内容でした。

今思えば、とんでもない浪人生、さぞかし心配をかけただろうと充分に理解出来るのですが、その時の僕の心境はと言えば、うわぁ〜〜!!いきなり現実に引き戻された!というような、少し気の重いハプニングでした。

しかし驚いたのは、リクエスト曲に僕の好きな曲を選んでくれた事です。当時好きだった洋楽か何かだったと思いますが、父親はちゃんと知っていたのですね。そんな父親、母親を、自分が親になって、初めて有り難いと思う・・・これは、世の常とはいえ、ほんとうにその通り事なのです。


■潜水艦

西宮を出港してからもう何日も経過していました。

足摺岬を越えて室戸岬まで、地図で見たイメージよりもずっと遠く、時間もかかりました。

翌昼頃、その足摺岬と室戸岬のちょうど中間ぐらいのところです。
前方、かなり遠くににドラム缶のようなものがポコッと立っている(浮かんでいる)のが見えたのです。何だろう?と思いながら近ずくと、それは何と潜水艦の一部だったのです。
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色々な出逢い・・・動物や土地やハプニングも含めて、潜水艦と海で出逢った事も、非日常な航海の印象深いエピソードです。


■旅の終わりに

よくよく見知った土地であったとしても、例えば、海側からそこを眺めることを想像してみて下さい。さらに、何日も旅をして帰ってきた懐かしい景色を、海側からアプローチすることを想像してみて下さい。
何とも不思議な、新鮮な感じがしてきませんか?
じわじわとゆっくり、しかし確実に近づいてくる懐かしい景色が、無事に帰ってこられた喜びをいっぱいに膨らませるのです。

でも、旅の終わりに待っていたものは、喜びだけではありませんでした。

・・・

室戸岬を回り、進路を再び瀬戸内方面、徳島県の日和佐へ。日和佐から四国の南を大きく周り大阪湾を目指します。

そして数日間かけ、目前には淡路島、右手には和歌山、紀伊水道を超え、友が島水道を玄関とする大阪湾の入り口まで僕たちは無事に帰ってきました。背中から受けていた西風は北風へと向きを変え、風上へきり上がりながら走ります。
色んな事を乗り越えた旅の終わり、やっと見慣れた景色が広がる。旅が終わる淋しさと安堵感が入り交じって、複雑な思いでいっぱいでした。いつもヨットを乗ってきたホームグラウンドの西宮の海は、旅が終わる時には安心感をいっぱいにたたえた小さな海に変わっていました。

こうして、瀬戸内海を西へ横切り、四国をちょうどぐるっと一周したような旅は、全行程で2〜3週間ほどで終わったのです。

それまで1年ヨットにどっぷり明け暮れた僕の、その時の最大級のヨット体験です。そしてこの旅のさまざまな体験は、僕の体に脈々としみこみ、その後の僕の人生にももちろん深く関わる事になるのです。次々に開かれてゆく未知のものや新しい景色との出逢いは、常に夢が膨らむワクワクした気持ちを与えてくれ、と同時に、大きな緊張や興奮も。また、それまで僕が体験していた自然の驚異、脅威の壁が、どんどん塗り替えられてゆく旅でした。

楽しいこと、嬉しいこと、怖いこと、悔しいこと、四国って大きいな。
また、小さいなあ、と。

しかし何と言っても、この旅の最大の恩恵は「充実感」なのです。

僕たち若者4人組だけでやってのけたんだ!という、誇らしさ、幾つかの困難を乗り越え、知恵を出し、ちゃんと無事に帰って来られたという大きな達成感なのです。

それは、その後の僕のヨット人生に、大きな勇気と自信を与えてくれる旅だったのです。

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by mrjib | 2007-08-05 16:51 | Yachting
四国クルージング-3
■スナメリと出逢う

それから船はさらに瀬戸内を西へ進みます。
波も風もない静かな瀬戸内海の夕暮れ。ぬめっと波のない海は独特の雰囲気をたたえていました。
あまりにも風が無く、僕たちは機走で(エンジンで)走りながら、オバケとか海坊主とかが、その辺に現れてくるんじゃないか、というような怖い話しを、おもしろ半分にしていた時でした。

僕たちの船からほんの数十メートル先に、海坊主みたいなものがポコッと現れたのです。
辺りは段々暗くなってきていたので、黒いシルエットが見えただけ。

謎の生命体の出現!?

それがあまりにもタイミング良かったので、とても驚いたのです。
僕たちは船ですぐ追いかけ、その正体をつかみました。
それは『 スナメリ 』という、瀬戸内海に生息する小さな鯨でした。
体長はイルカのように小振りで、背ビレがありません。
このクルージングの旅に出てから、初めて出逢う動物。
ノンビリとした瀬戸内の、早い春の海の断片です。


■冷たい春の海
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左手に四国の景色が続き、来島海峡を越えさらに釣島を越えたあたりで、ペラ(エンジンのプロペラ)が回らなくなった。来島海峡は、鳴門海峡に次いで、日本で2番目にきつい潮を流れる海峡です。
後方を見ると、大きな海藻を引きずってるではありませんか!

早く取り除かなくては!

しかし、そんな海の真ん中で走行中で作業は無理だったので、次の寄港地、別府で作業という段取りになったのです。

僕は少し、嫌な予感がしていました。

伊予灘、豊後水道はとても風が良く、気持ち良く別府まで帆走できました。
そこまで途中で、同じ関西汽船(別府航路)に3回も抜かれました。
一日一便のフェリー船だから、まる三日という事になります。
そうして考えて頂くとおわかりのように、ヨットは、たいそうノンビリした乗り物なんです。
しかし、船の中のクルーにとってはこんなノンビリした時間とは逆に、時に激しいスポーツになる乗り物なのです。

さて、別府港。
海草取りの作業はジャンケンです。
嫌な予感は当たり、僕はジャンケンに負け、海に潜ってペラに絡んだ海藻を取り除く事になりました。
 当時は今のようにウェットスーツなど無く、Gパンにトレーナーという格好で海に入りました。
それは、今まで未体験の海の冷たさと、感覚でした。「寒い」や「冷たい」を超えて「痛い」のです。ペラまでほんの1メートル、取り除く作業はほんの5分くらいの事でしたが、僕は一瞬でコチコチになりました。

【教訓4】 春(3月)のうみは一年中で一番冷たい。

僕はこの辛い任務を終え、事前に調べておいた温泉へいちもくさんに走りました。


さておき、海草を取り除くのにとても役に立ったものがあります。
それは『錆びたナイフ』です。
錆びたナイフは刃が適当にギザギザになって、のこぎりのようになってくれます。
それは、へーえ、という新鮮な発見でした。
役に立たないと決めつけない事で、このように答えが正反対になる事もあるのですね。

物事に偏見を持たず決めつけないという事は、とても大事な事なのです。

【教訓5】 錆びたナイフは良く切れる。(錆びたナイフも必要)



■別府観光港

ところで、僕たちは遂に別府まで走ってきてしまったワケです。
九州は、高校の修学旅行でも訪れたことがあったので、2度目の九州でした。
疲労感はあった筈だけれど、全く記憶にない。
ただ、未知の経験やワクワクした楽しい感じがずっと続いていたのです。
他のメンバーも同じだった事でしょう。

僕たちがかけこんだ温泉というのは、確か「ジャングル風呂」という名前で、いわゆるレジャー温泉でした。海に面した温泉で、ジャングル風呂、という名前が印象的で、未だによく覚えています。

冷え切った体を温めるべくかけこんだ温泉は、僕が潜る前に予めメンバーと下見をして見つけておいたのです。ドブンとつかった暖かなお湯が、天国のような心地だった事は、みなさんの想像の通りです。

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by mrjib | 2007-06-18 18:42 | Yachting
四国クルージング-2
■ヨットが傾く?

そうして、僕たちは無事に西宮港を出港したのです。

香川県の小豆島や高松は何度か来ていたので、海の上に居てもああいまこの辺かとわかりますが、そこから先は僕にとって未体験ゾーンです。緊張に似たワクワク感を感じていました。

クルージング初めての寄港地は丸亀港です。
丸亀港は誰も体験のない初めての港、しかも夜に到着です。
周囲の状況も見えずらい上に、水深や水中にあるものが何も判らない状況です。
ヨットにはフィンキール(ヨットの船底にある重要なパーツ)があるので、3mぐらいの深さは絶対必要なのです。慎重に入港し、紐の先に重りをつけ水の深さを測りながら少しずつ接岸して、停泊したのです。

次の朝、目が覚めると、寝ている自分の体が傾いてるじゃないですか。
慌てて飛び起きると、何と、ヨットが傾いて浮かんでいる状況でした。

どうなってるんや!!

調べてみると、なんと丸亀は2mも潮が引く。2mも潮が引く環境は珍しい例に入ります。
潮が引いて、ヨットが海底にあたって持ち上げられていたのです。

僕たちはしごく納得し、その後はずっと潮が満ちるのを何時間か待ちました。
午後になってようやく潮が満ち、元のプカプカ浮かんだ状態に戻り、丸亀港を後にしました。

後に海図と水路書誌を合わせた「水路(図)誌」の存在を知り、よくよく勉強してから寄港するようになりました。それぞれの港の侵入の仕方や海底の様子などを細かく記しているものです。

【教訓2】 初めて入る港は事前に調べておく。


■春一番

『春一番』って、素敵な言葉だと思いませんか?
寒い冬を越え、待ちに待った春の到来を告げる、爽やかな暖かい風・・・
「あぁ、春が来るんやな」
そんなイメージのする優しいニュアンスの言葉
・・・と、僕は、この時まで思っていました。

丸亀を超え数時間経ったと思います。
急に海面に白波が立ち、風がどんどん強くなってきました。
そこへいきなり突風が吹いて来て、船はぐっと傾きました。
突風は吹き止まず、まさしく春の嵐です。
キャプテンの冷静な判断で、このまま夜走るのは危険なので、最寄の湾で過ごそうということになりました。
強い南寄りの風をしのぐ為に、香川県の詫間湾へ逃げ込み、一夜をそこでやり過ごしました。
そして、これが本当の『春一番』だと知りました。

【教訓3】 春一番は、恐ろしい。
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by mrjib | 2007-06-14 19:05 | Yachting
四国クルージング-1
■クルージングに行こう!

ヨットと出会い、すっかりヨットの虜になってしまった僕に、再び受験の季節が巡ってきました。
もちろん、結果は惨敗、またのチャレンジを余儀なくされたのです。
と、言っても、僕は決してブルーな浪人生ではありませんでした。
何故なら、結果はどうあれ僕にも皆と等しく春がきた。
それは、胸躍るワクワクの、ヨットざんまいの始まりのゴングだったのですから。
19歳、ヨットと出逢ってからまる一年たった春です。

そして、僕は当時の仲間や先輩クルーと、クルーだけの四国一週クルージングを計画したのです。
練習航海です。
毎日のように一年もヨットに乗っていると、ヨットの事(艤装や操船)や、海のこと、自然のことなどについては、すっかり僕の体の一部のようになっていました。
しかし、僕にとってはまだ行った事がない距離、未知の海が待つ体験です。
ワクワクせずにはいられません!

早速、ヨットのオーナーに話すと、気持ちよく気をつけて行って来いと返事を頂き、
こうして僕たちは、その春、四国クルージングを実行したのです。

■メンバー紹介!

では、ここでメンバーを紹介しておきましょう。

・フジオカさん=スキッパー(船長)
彼は神戸海洋少年団(後述)出身で、僕より2、3歳年上。
年齢も上だが、ヨットや海の経験と知識は豊富で、頼りになる先輩。
彼が居なかったらもちろんこの計画もあり得ない事でした。

・ キムラ君
ヨットでは僕の方がちょっと先輩、僕の友人。
よく船酔いをしていた彼。しかもものすごく長い間。
笑いながら「吐くわー」と言ってた。

・コタロー
クルージングの1週間ほど前からヨットに乗り始めたばかりの、フジオカさんの友人。
しかし、彼にはものすごい特技があったのだ。

・そして、僕
いつも特攻隊役。危険なこと、寒いこと、面倒なこと・・・
何かにつけ一番に飛び込むのは僕の仕事でした。

以上、この4人だ。
メンバーの詳しいエピソードはまた後で書くとして、とにかく話しをすすめよう。
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■綿密、でなかった計画!?

クルージングに欠かせない、重要な搬入品と言えば、何でしょう?
燃料?
それは、ヨットの場合は、「風」が燃料なんですね。
ほとんどが帆走(帆だけで走る)が前提のヨットは、燃料は必要最低限のみ積んでおけば良いのです。
重要な搬入品とは、食糧です。
何せ学生4人組、予算も限られていたので、かなり綿密に計画を立てました。

『何事も、工夫することで何とかなる』
この事は、これから始まるヨットの体験と共に、たくさんの教訓を生み、後々の僕の人生にとても役に立つ事となるのです。

水は寄港したところでその都度調達する事に。
主食の米は、それぞれの家から持ち寄って調達する事にしました。
問題は「オカズ」になるものです。
そこで、西宮の中央卸売市場へゆき、ある、安い缶詰を見つけてケース買いしました。
献立を考え、色々な料理にアレンジして、一つの缶詰を消化しようという考えでした。
そして、出航したその夜に、その一つ目を空けました。

・・・何やこれ?!

ゴボウ天をタテにぎっしり並べたような感じで、いかにもまずそうな物体でした。
一口食べてみたところ、見た目を裏切らず、大変まずかった。
あぁ、これを毎日食べなアカンのか・・どうしよう・・・
と思い、大変憂うつになりました。

しかし、それでもそれを食べるしかなかったんですね。
メンバーで2缶ずつくらいを毎日毎日。
ある日は炒めて、ある日はオデンにしたりして、工夫に工夫を重ね、帰る時には全部食べきっていました。
しかし、今でも忘れられないくらい、まずい缶詰でした。

【教訓1】 ケース買いする時は、必ず試食すること。
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by mrjib | 2007-05-03 02:11 | Yachting